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 Bunkaスポーツというこ考え方は、これまで近代が追いかけてきたような、スポーツでの一面的な選手養成や科学的分析のみから人間を理解することやめようと提唱しています。これまでのスポーツに関わるさまざまな世界は、トップや上から指示に従わせるばかりで、自分自身で責任をとることができる選手たちを広く育てる雰囲気にないありませんでした。そうしたスポーツの世界を揺るがし、スポーツ好きの子どもたちを社会を変えていく柱に育てていく、そんな夢のためのプラットフォームとして、多くの方々につながっていきたいと考えています。

 それは、近代という時代のなかで培われてきたさまざまな価値観や身体観を問い直していく、「Karada(からだ)哲学」へとつながっていく実践です。

 この大学で起きていることは、決して特殊な出来事ではなく、多くの大学において起きているようです。「不思議な大学世界」の、当たり前の出来事なのかもしれません。このHPでは、その大学世界の「不可思議さ」に疑問を投げかけながら、大学教育活性化のためのヒントを探っていきたいと考えています。

 

 Kuroganeの町の大学には、古くからの伝統と歴史に支えられた独特のルールがあります。この独特のルールのもとで数十年順調に発展してきました。
 ただ、一つ気になることは、多様な知恵と実践が必要とされる現在の大学をめぐる状況のなかで、教育現場にいる教職員一人ひとりが責任をもって判断し、行動し、発言することができていないということです。成果を上げないことへの責任追及はない、成果が上がらないことの原因追究もない、だから結局何もしない、何も言わないほうが安全だという雰囲気が出来上がってしまいました。

 

 その雰囲気の中で、教員は大学のために何が必要か、教育のために何が必要か、学生にとって何が必要かを考え行動する範囲が極度に狭められています。実はそのことは、学生が大学での時間を過ごしながら成長していく環境にとって、多くのものを失わせることになっています。

 

 スポーツ界が昨今組織としても、体質としても、多くの問題を抱えていると指摘されているように、大学の日常も、時に体育会系的な上下関係と閉鎖的な雰囲気、そして監視のもとで、学生が自分で考え、声を上げ、行動することが、できなくなりつつあります。
 
 こうしたスポーツ界の体質改善、暴力撲滅の動きはメディアによって取り上げられているうちは、人々の問題意識を喚起し、変革の期待をもつことができますが、出来事が風化していけば、多くの人にとって「出来事はなかったこと」になっていくことでしょう。一人一人が、責任をもってそうした問題に発言をし、問題提起をし続けることが、本当の変革を生み出す力になります。
 
 Kuroganeの町の大学でも、学園や大学のあり方に問題提起をし続けた2名の教授が解雇されました。大学でのスポーツ・体育のあり方に新しい考え方をとり入れ、人材育成に情熱を注いでいた教員が、一方的に「学園・大学・学部の運営を妨害した」との理由で解雇されることなど、不思議な出来事です。そうした出来事が大学では当たり前に起きている、と言う方々もいます。でも、その損失の大きさを、是非一緒に考えてみてくださいませんか。
 
 このHPでは、これらを考えるための情報や事実などを提供しながら、出来事を風化させないように、この社会の抱える典型的な問題の一つとして記録に残していきたいと考えています。

 

 一つ一つの教育現場が、そしてKuroganeの町の大学が、学生、保護者、そして社会からの信頼を獲得し、学生一人一人を大切に育てていく、素敵な場所になるように、心から願って・・・・・・。

  

 Fushigina Kaiko

Bunka sport

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